そう、これ!
思い出しました。
これでした。
これが見たかったんです。楽しそうに仕事してるとこ。
それを見てれば私も嬉しい。そのこと忘れてました。久しぶりでした。でも原点でした。
思い出せてよかったです。
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思い出しました。
これでした。
これが見たかったんです。楽しそうに仕事してるとこ。
それを見てれば私も嬉しい。そのこと忘れてました。久しぶりでした。でも原点でした。
思い出せてよかったです。
先日亡くなった植木等さんと言葉を交わしたことが一度だけある。
20数年前のとある避暑地のホテル。
私はアルバイトのウエイトレス、植木さんは所属芸能プロの夏のイベントで他の大勢のタレントさんとともに何日か泊まりにきていらっしゃった。
私のいたのは和食堂で、その日は朝食と夕食の中抜け勤務のシフトだった。
他のタレントさんはルームサービス利用が多いのか、お店にいらっしゃる方はなかった。
ホテルのコテージあたりでまだ赤ちゃんの娘さんを連れた松田聖子・神田正輝夫妻(当時)を
見かけたくらいだった。
もう閉店時間に近くなってから植木さんは小松政夫さんと一緒に現れた。
お店にタレントさん来たのは初めてだったし他のお客さんももう少ない時間だったので
当初二人は従業員の注視の的になった。でも、仕事じゃないときのコメディアンは結構真顔で怖い感じがする、というのは本当である。
もう二人は食事を終えているのに下膳に誰も行かない・・・
・・・勇気を出して行ってみた。二人は話が弾んでいる感じだった。
朝食は和定食で湯飲み以外全部食器はお盆にのっかっている。だから下げるのは簡単なのだが、
和食器は重い。「お下げします」と声かけて小松さんのお盆を先に取り、植木さんのを手に取ろうとしたら、
植木さんは取りやすいように少しずらしてくれた。
「恐れ入ります」と言ったら、
植木さんに「いいえ。なんにもお手伝いできませんで。」と返された。
この仕事していて後にも先にもこう言われたことはない。
だいたいお客がお給仕に手伝いもないだろう。もっと横柄な人いっぱいいるし。しばらくの間言葉通りに受け取っていいのかどうかわからなかった。
私の下膳がへたくそなので皮肉を言われたのかも、と思ったこともあった。しかし、こっちがひねくれているような気がして言葉通りに受け取ることにした。声の感じは優しかったんだし。
その日から植木さんは私の中では素敵なおじちゃんになった。私の年齢ではいいかげんなサラリーマンやゲバゲバとかのどたばたな役は実は追体験での記憶しかなく、味のある俳優というイメージが強かったし。後からお寺の息子さんだと知ってなるほど、とも思ったけど・・・
グッバイ、素敵なおじちゃん。50代後半でこんな言葉を言えたあなたのような人間に少しでも近づいていたいです。
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